マッキーQ&A

日本人としての誇りを大切にしながら、国を代表し、従来の枠に収まらない国際弁護士を目指し、日本および米国の法律事務所、そして政府(経済産業省)において活動しました。

留学前は日本の5大事務所の一つの国際部門において、主として日本企業や個人のために戦い抜きました。

その後、米国の首都ワシントンDCにあるジョージタウン大学ロースクール、そして国際機関であるWTO(世界貿易機関)の法律部、ワシントンDC最大の法律事務所の政府規制・国際通商部門と日本にとって極めて大切な国際通商に関する法律を勉強・研修・担当しました。

ニューヨークでは日本企業の米国における活動を守る法務を担当しました。

そして、帰国後は経済産業省通商政策局通商機構部において、外部専門家の任期付採用制度を利用して、参事官補佐として国際通商紛争や国際通商交渉を担当し、国益のために戦いました。一言で言えば、「国のために戦う国際弁護士」です。

私は小さい頃から日本の歴史・自然・文化が大好きで、自分が愛する日本のために役立つ人生にしたいと思っていました。中学2年生の時に島崎藤村の「破戒」を読み、偏見に向かって戦う弁護士の姿に憧れ、社会正義を広く実現するために弁護士を志し、それを実践してきたつもりです。留学中、同時多発テロを首都ワシントンDCですぐ間近で経験し、世界歴史の大きな流れを感じましたが、その一方でバブルの後遺症や少子化、多額の財政赤字で将来につけを残す一方、国際的に存在感を失っていく日本に危機感を覚えました。そのため、世界を相手に努力と経験で積み上げてきた自分の「実力」を武器に国の未来に尽くしたいと決意したのです。日本人の幸せを実現し、日本の明るい未来を築きます。私たちが「日本人」であり、この国が「日本」であることの元になっている、日本の歴史、文化、自然そして人を発展させ、未来の世代にきちんと引き継ぎたい。

とにかく自分の世界を広げ、多くの人の心を理解し、時代の流れを見通すことのできる力をつけようと努力してきました。受験時代に「たけしの天才元気が出るテレビ」の「東大に入ろうね会」というコーナーでレギュラー出演したのは、テレビの世界を理解したかったから、道や床のガムや汚れ取り、工事現場の後片付け、ニューヨークのハーレムの公衆トイレの掃除などのバイトやボランティアをしたのは自分の視野を広げたかったから、大学1年生の時に日本最大だったカラオケボックスでバイトをしたのはこれからの時代を担う文化の柱になると思ったから、世界を60カ国以上旅行をしたのは世界を少しでも理解したかったからです。今後も私の座右の銘である、「たゆまぬ努力」を続け、不屈の精神と大和魂を旨に、どんなにつらくても歯を食いしばって必死に国及び国民のために尽くしたいと思っています。

様々なお仕事のお誘いも受けたのですが、あくまで政治を通じて日本のために身を捧げるという道を選ぶことにしました。西区の農家の皆様にはお米を頂いたり、お野菜を頂いたりして、助けて頂きました。多くの皆様のご支援を頂きました。この間、東日本大震災で被災した学生の皆様のリーダー教育を支援する基金の創設に関わり、理事として活動しました。さらに、政策研究大学院大学で客員研究員としての立場を頂き、農産物の海外輸出という研究テーマで勉強したりしました。しかし、基本は地元でお一人お一人とお会いし、お話を伺い、現場を歩き、現場の声を聞き、多くの事を教えて頂きました。人の心のありがたさ、暖かさを知った3年強の浪人生活でした。

毎日朝は欠かさず駅でご挨拶をしています。電車で出勤し、国会と党の間や、周辺の施設や機関との移動はダッシュ。国会や党の活動は皆勤を心がけ、出ることができるものはほぼすべて出席し、発言しています。耐震偽装問題対策検討ワーキングチームの事務局長をはじめ、いくつかのプロジェクトチームにも選任して頂きました。とにかく、あらゆる政策課題において誰よりも専門知識と問題意識を持って取り組んでいく所存です。地元の活動も、小さな会合や文化祭も含めて、とにかく自分の足で物事を体験し、その実体験を政策に活かしています。私にとって、地元は政策の源であり、一人一人の方との議論や会話、あるいは通勤されているお姿ですらいろいろな政策を考える土台となっています。夜はどんなに遅くても電車で帰郷し、ブログの更新を行っています。ブログは、これまで「国会議員の活動がなかなか分からない、そしてそのことが国民とのギャップを産んでしまった」という問題を解決する手段であると考えています。

私が国会議員になったのは、名誉のためでもなく、目立つためでもなく、もちろんお金のためでもありません。国のため、国民のため、子どもたちのため、そしてこの国の未来のためです。したがって、毎日毎日使命感と責任感でいっぱいです。とにかくやらなくてはいけないことが山積みであり、たゆまぬ努力を続けていかなくてはという決意を新たにし続けています。